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既得権者のエサにされる悲しき若者たちー大学院に意味はあるのか?


少子高齢化が社会問題として認知され始めてから、既に長い年月が流れました。「少子高齢化」と一口に言っても、その問題は非常に多岐にわたります。しかし、これに関連する問題の中では少し性質を異にするもの。それが「高学歴ワーキングプア」という問題です。

「高学歴ワーキングプア」とは、高等教育機関の最高峰である「大学院」を出たにも関わらず、正規雇用に恵まれずにフリーターや非正規雇用を余儀なくされる人々を言います。

ますます加速する少子化社会の中で、何故か増え続ける大学院生の数。この問題に現場の視点で鋭く切り込んだ一冊が、今回ご紹介する『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』です。

0.024%と11.45%

これは何の数字かというと、左が2004年9月時点の日本における「自殺者」の割合です。対して右の数字は、同年の日本における大学院博士課程修了者の「死亡・不詳の者」の割合。

この数字をいきなり見せられて、驚かない人はまずいないでしょう。単純に母数の問題でもありますが、それにしても一般的に優秀そうなイメージの強い「大学院卒」の人間が、これほどの割合で行方がわからくなってしまっているのだから、これがただ事ではないというのがひと目でわかります。

就職率35%という惨状

本書で紹介されているデータにこんなものがありました。2006年度の大学院博士課程修了者のうち、全体の就職率は約57%。これだけでもとても良い数字とは言えませんが、ここには比較的就職に直結しやすい医歯薬系も含まれており、これを筆者の出身である人文・社会科学の分野に絞ると、就職率は35%まで落ち込みます。

本書によれば、その要因は大きく分けて二つあります。

  1. 大学教授としてのポスト不足
  2. 一般企業から「博士」への冷遇

そして、何より問題なのは、少子化に反して異常に増えた大学院進学者(※入院患者)を生み出したのが、国の政策に依る所だという点です。詳細な説明はここでは省きますが、東京大学と文部科学省の既得権益について、本書では悲痛なまでの指摘が採算にわたってなされています。

大学講義のアウトソーシング化

私自身は、大学院に行くかどうか迷ったことはありましたが、実際には入院しませんでした。なので、本書のテーマは直接関係ないことのようにも思えます。しかし、大学院の博士溢れの問題は、少なからずその下の大学教育にも影響を与えていることが指摘されています。

それは、「大学講義のアウトソーシング化」です。これは、大学から正規雇用を受けていない「非常勤講師」が大学の授業の多くを受け持っているという現実のことを言っています。

講義を受ける学生にとっては、講師が教授であるとか、准教授であるとか、非常勤講師であるといった肩書はそこまで重要ではありません。しかし、交通費から資料のコピー代まで自腹で用意させられる上に、大した賃金をもらっていない非常勤講師の実情を知れば、講師を見る目と大学そのものを見る目が変わることは間違いないでしょう。

大学院に行く意味はどこにあるのか?

本書では、必死の思いで博士号を取得したにもかかわらず、それを社会のために役立てられない人々の苦しみ・嘆きを中心に論じています。ただし、大学院に行く意味をすべて否定しているわけではありません。

筆者はこれから大学院を目指す人に向けて、「何を目的に大学院へと進むのかを明確にしておかなければならない」と結んでいます。

何が正しくて、何が間違っているのか容易には判断できない現代社会。他人の口車にのせられるのではなく、自分の意志であらゆるものを上手く「利用」していく生き方を学んでいく必要性を感じます。

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